火鉢ミュージアム


当サイトを運営するにあたり、火鉢に関する資料はないか無いかとずっと探していたのですが、
いまだに良い資料が見つかりません。じゃ、無ければ作ってしまおうというのがこのページの趣旨です。
ですから、間違ったり、変更される個所が多々あると思いますが、参考資料としてご活用ください。


<印版手:銅版転写による明治から大正期の火鉢>


図1
左:全体
中:印判らしい特徴
右:底部


図2
左:全体
中:部分拡大
右:底部


印版手の焼き物は、明治以降の産業革命の進展によって大量に作られるようになりました。
火鉢も例外では無いはずなのですが、関東地方での現存数はあまり多くないようです。
関西では、関東よりも多く現存しているように思われます。これは、 生産地である九州や中部に近いという事も影響してるのではと考えられます。
図1は火落としに近い手あぶりで、裏面の釉薬から見える土の様子が、明治から大正の印判皿と同じです。
図2はウイローパターンを意識した印判で全体が描かれています。印判の雰囲気から明治後期の出来と思われます。


<蒔絵火鉢:芸術と実用の融合>


図3
左:全体
中:蒔絵部分拡大
右:螺鈿部分拡大


図4
左:全体
中:蒔絵部分拡大
右:螺鈿部分拡大


木製のくり貫き火鉢に、高蒔絵を施したものが希に見受けられます。旧蔵しているお宅の多くが、医師、あるいは豪商の場合が多く、 当時それなりに値の張る贅沢品だったのだろうと考えられます。
現存しているものの多くは、図3のように、機械くり貫きの桐火鉢に、比較的のっぺりした金色の蒔絵を施したものです。
この火鉢は、主に金沢で制作された模様で、石川県のWEBで情報を確認する事が出来ます。
・桐工芸の歴史と特色 http://www.pref.ishikawa.jp/shofu/intro/HTML/H_S51401.html
・桐工芸の工程と現況 http://www.pref.ishikawa.jp/shofu/intro/HTML/H_S51402.html

図4は欅のくり貫き火鉢に蒔絵を施したもので、江戸の出来です。本来なら共箱で、蒔絵師の名前が入っていたのではと推測されますが、 裸の状態で土蔵にしまわれていましたので、それ以上確かな事はわかりません。
この火鉢は、武蔵国の某藩の御天医のお宅に残っていたもので、螺鈿の剥落がありますが、珍しい品です。
蒔絵火鉢に限らず、くり貫き火鉢類全般で、内部の落としの圧延の様子から、時代の判断 (産業革命以前、以後)が可能です。古い時代のものには、細かく手作業で打ち出した跡が残っています。


<海鼠火鉢:信楽焼の製品群から>


図5
左:宣徳型
中:明治型
右:昭和型


図6
左:短筒型
中:長筒型
右:角型(練炭火鉢)


海鼠火鉢は、信楽焼を代表する製品で、多種多様な色合いと形が魅力です。
読売新聞社刊「日本のやきもの3」に、以下の記述があり、往時の盛況ぶりがうかがえます。

信楽が再び脚光をあびるようになったのは、明治の中頃から作りはじめられた海鼠釉の火鉢によってでした。 大正から昭和初期にかけて、火鉢は信楽の主要製品となり、一時は、全国の火鉢の九割を生産し、 火鉢専用の八トン貨車が、毎日、四十車両走っていたといわれています。 駅のホームは貨車の順番待ちの火鉢でいっぱいで、一般乗客は、 火鉢の隙間をぬってホームを歩かねばならなかったほどの盛況振りでした。
しかし、好評を博した信楽の火鉢も昭和26年頃から石油ストーブにとってかわられ、 急激に生産量が落ち込んでいきました。
古手の信楽火鉢は、海鼠釉よりもう少し透明感のある釉薬がかかっていて、趣が異なります。 詳細は別項に譲ることにしまして、まず形について説明したいと思います。 図5は、左から順に古い時代のものと推測されます。宣徳型とは、中国の明代に作られていた、 宣徳銅器の形を模した物で、唐金火鉢に多く見られる形です。破損している物が多く、 完全な形の物はほとんどありません。火鉢裏面の高台内部に、所有者により年号記入されている場合、 幕末から明治の元号が多く、現存の状況からもこの時代のものと考えて差し支えないと思います。
・宣徳火鉢(唐金)の例 http://www.kyoto-shijo.or.jp/users/kyoto-shijo/dogu/Dogu20.html
明治型とは、台座付の球形のもので、火箸をさす穴が開いているのが特徴です。現在も信楽で生産が続いており、 また、このような呼称が用いられているので、そのまま参照しました。なお、かなり長期間作られた模様で、 昭和になってから作られた物も少なくありません。
昭和型とは、現存している海鼠火鉢のほとんどを占める形で、昭和20年代の最盛期に作られた物と推測されます。 明治型と対応させるために昭和型と便宜上名付けましたが、面取りされた八角形は、幕末から作りつづけられている定番の形です。 面が取られていない丸型のものも含め、5センチほどの袖が特徴です。図6はその他の形の例で、ご参考までに。
次に色ですが、定番の青の他に、茶、灰、緑、黒があります。黒は幕末出来の物を一度しか見たことがありませんが、 楽焼のような感じです。時代と色の関連性を見るならば、古い順に、黒、灰、緑、茶、青という感じでしょうか。 青だから時代が新しいと言うわけでもなく、明治から大正出来の古い物も存在します。当時は製品の寿命が長く、厳密な判断は難しいです。 図5の中、図6の左は、すだれ掛けと呼ばれる信楽民陶の例で、やはり比較的古手の物に多く見受けられます。


<金工品:灰ならし類を中心として>


図7
左:民芸案内表紙
中:炉金(青森)
右:灰ならし・五徳(山形)
※民芸案内より引用


図8
左:火の用心(新物)
中:透かし鶴(新物)
右:無地(時代物)


今回は火鉢から少し離れて金工品の話題を。火箸、五徳、灰ならしは、火鉢とは切っても切れない品なのですが、金属という性質上、 本体と比べて残存数が少ないのが特徴です。ただ、現在も細々と生産が続き、入手は可能です。ただ、流通在庫に近い物も多く、 入手できる意匠は限られる感じです。
さて、これらの金工品ですが、大きく別けて3つの材質があります。鉄、銅、真鍮、といったところでしょうか。 関東近辺で火鉢とともに出てくる時代物の金工品の場合、火箸は比較的バリエーションに富みますが、 五徳は主として鉄、灰ならしは、鉄、銅の小振りで薄手のものがほとんどです。 これは、金工品の生産地の関係と非囲炉裏文化という嗜好性が影響しているのではと考えています。
関東ではあまり見かけない真鍮製の大振りな五徳や灰ならしですが、主として東北地方で作られている模様で、 民芸と呼ぶのに相応しい味わいがあります。 伊藤安兵衛著「民芸案内」芳賀書店(昭和47年)にこれら金工品の記述があります。

北の方から申しますと、まず青森県の炉金といういろりに置く五徳のようなものや鉄の錠前、 鉄瓶といえば南部というほどここの鉄瓶は有名で物もいいのです。…中略…。岩手県では、このほか五徳や灰ならし、 火箸のほかあらゆる種類の鋳物が作られています。 山形市は金工品の本場で銅町などという名があって、街の両側には今でも金工品の店が軒をならべています。 店の奥は殆んど工場になっていてふいごで火をおこしたり、鉄を打ったり、鋳物工場では型に原料を流し込んだりしているのが見られます。 …中略…。吉原五徳という五徳は昔どこの家にもあった長火鉢に使われた物ですが、鉄の桟が動くようになってる便利な品です。 山形にはこのほか鍋、自在かぎ、灰ならし、火箸等のあらゆるものが出来ます。真鍮の製品でもおもしろいものがあり、 それはやはり釜、釜敷、火箸、灰ならし等ですが、「火の用心」とすかしを入れた灰ならしなどは捨てがたいものです。 これらの金工品は秋田県横手でも作られており、この付近で見かけるわたしという炉に使う五徳のようなものはなかなかおもしろく、 また雑草をとるための草とりは棒の片方がとがった三本の指になっている変わったものです。…後略…。
今より30年近く前に出版された本の中でも、失われつつある民芸というニュアンスで紹介されており、 真鍮製の灰ならしの場合、現在流通している意匠は3、4種類と思われます。東北地方の古い金物店の在庫をあたれば、 もっとおもしろいものや、出来の良いものがある可能性があります。


<ノリタケ火鉢:和洋折衷の不思議な魅力>


図9
左:オレンジグラデーション
中:裏面
右:バックスタンプ


図10
左:ブルーローズ
中:内面
右:バックスタンプ


図11
左:R.C
中:日陶縦書
右:日陶横書


Royal Crockery"(高級磁器)の裏印が用いられたノリタケの製品、現代でもいただいた食器類がノリタケだと ちょっと嬉しくなりますが、戦前のノリタケ製品の残存数や残っている旧宅の雰囲気から察するに、今よりも、 もっともっと高級な品だったようです。
ノリタケの製品全般に関する説明、楽しみ方の本は多数出版されおり、当方の眉唾?的な概説より、 そちらのほうがずっと為になりますので、火鉢に絞って書いてみます。

ノリタケ火鉢の大きな特徴はバックスタンプと呼ばれる裏印が裏面高大中央に配置され、年代ごとの特色を 持っていることです。今回5種類の画像を準備しましたが、その他に、ヤジロベーと呼ばれる大正期のもの、 戦後、昭和30年代のRC印があります。その他当方の未見のものもあると思いますので、参考程度にお考えください。 この中で一番よく見受けられるのは、縦書き則武日陶の戦後、昭和20年代初頭から使われたものです。 やはり戦災に遭っていないというのは、品物の残存数を左右する大きな要因といえそうです。 じゃあ、戦災なんてまったく関係のなかった、山の中の庄屋さんや、海のほうの網元さんのところからは出てこないの? という素朴な疑問に突き当たるのですが、これが出てこないんです。今まで出てきた品物は、埼玉県岩槻市のお医者さんのお宅だったり、 千葉県内ですと、船橋市、四街道市、など、東京までの通勤圏、別宅とされていた地域に偏ります。極々稀に、えっと思う場所から出ますが、 由来をよくよく聞いてみると、その当時東京にいて、そちらで購入というような話になります。 あと、ノリタケの火鉢を使っていたお宅は、お医者さんだったり、学校の先生だったり、今で言うところのサラリーマンだったり、 少々洒落て、金銭力の豊かだったという傾向があるように感じます。もっとも、単に販売拠点がなかったからという単純なオチも考えられますが。

さて、これはあくまでも関東の千葉県の話で、本場の名古屋になるともう少し事情が異なるようです。名古屋や関西方面にいくと、 関東よりは潤沢に品物が残っているそうで、うらやましい限りです。そしてこんなエピソードが。昨今の経済情勢により、名古屋圏の古い瀬戸物屋さんが廃業とのこと。 そして倉庫や建物が第三者に渡り、さて、中に放置されている売れ残りのデッドストックをどうしたらいいかと。そこで処分を依頼された業者さんが訪れると、 ダンボール箱に入った、戦前から戦後のノリタケ製品が、山となり、崩れんばかりの勢いで積み上げれていたとか。ダンボールの箱なので、下のほうはフケて 痛んでいたものの、中身は瀬戸物ですから無傷、完品。未使用ですから当然フレッシュです。かなり市場に出回りましたので、購入された方も多いと思います。 ただただすごいの一言です。

#間違って、下書き状態のままのファイルがアップされていました。失礼いたしました。やっつけで書いてみましたので、 もっと資料を集めて加筆したいと思います。

次回はノリタケ類似火鉢についての情報を掲載したいと思います。お楽しみに